2009年06月19日

古代の音楽(こだいのおんがく、英: Ancient music)とは

古代の音楽(こだいのおんがく、英: Ancient music)とは初期音楽の時代の始まりとされている5世紀以前の音楽をさす。さらに古代音楽は先史時代の音楽(Prehistoric music)と分けて考えられることもある。

古代の音楽といっても、その言葉で意味される音楽は種類も地域もさまざまである(ペルシア、インド、中国、ギリシア、ローマ、エジプト、メソポタミアなど)。古代音楽は、単純な音程と音階という特徴を持ち、口承または文字によって伝えられた。
音楽のはじまり [編集]
音楽の起源は有史以前にさかのぼり、それがどういうふうなものだったかはわからない。

よの付く言葉
スポーツのあゆみ
くの付く言葉
<アジアの美術
a href='http://wgkztx.upcebd.biz/'>名犬マルチーズ
雨模様
猫ニャン
柴犬について
生命の誕生
りんごのほっぺ
版画
オークション
映画館
射撃
応用数学
トリックアート
証券取引所
乗馬
高血圧症
ゲートボール

世界最古の笛 [編集]
もっとも古い笛と考えられているものは、1995年、スロベニア芸術科学アカデミーのスロベニア人古生物学者イヴァン・テュルクによってスロベニアのDivje Babe1号窟で発見されたもので「ネアンデルタール人の笛」[1]として議論されている。これは43000年前の中期旧石器時代までさかのぼると考えられている。これは中空になった子供のアナグマの大腿骨であり、いくつかの穴があいていた。これが純粋に楽器なのかそれとも肉食動物が噛んでできた単なる骨なのか現在も議論が続いている。

確実に最古の笛と考えられているものはドイツ、ウルム近郊の洞窟から出てきた骨の笛で約36000年前のものであり、現生人類が使用したと考えられている[2]。

また最古の木製の笛はアイルランドのダブリンの南約27キロ地点にあるGreystonesで2004年に発見された[3]。イチイの木でできた30センチから50センチの笛であり、6本まとまって出土した。笛は先のほうが細くなっており、指で押さえるための穴はなかった。これらの笛はひもでひとつになっていた可能性もある。

2009年06月01日

コルィマ鉱山

ロシアマガダン州からサハ共和国、チュクチ自治管区を流れるコルィマ川流域に広がる金鉱山。流域に強制収容所が建設された時代は、ナチスのアウシュヴィッツと並ぶ史上最悪の収容所とされた。

20世紀初頭、北極海へ注ぐコルィマ川中流域で砂金が発見されたが、1年の半分以上が氷点下という過酷な環境下のため開発は進まなかった。開発の契機となったのは、ロシア革命である。ソビエト連邦共産党の方針に反対するもしくは潜在的に脅威を与えるとされた政治犯は、次々流刑処分にされ、シベリアへ送られ強制労働を強いられることとなった。そのシベリア側の受け入れ先の一つがコルィマ (鉱山)である。受け入れ先といっても永久凍土やタイガが広がる原野であり、1928年に労働者や物資を受け入れるためオホーツク海に面した場所にナガエフ港(後のマガダン市)が流刑囚により建設された後、マガダンを拠点に分水嶺を越えてコルィマ川沿いに進出、金鉱の開発が行われた。

マガダン(市に昇格するのは1937年以降)には、1934年にダリストロイ(極東建設総局)が設置され、組織的な強制収容所(グラグ)の建設と就労対策が進められた。囚人は、主に船によってソ連各地から送られて、金の採取や木材の伐採等に駆り出された。金鉱は漂砂鉱床(砂金)であり、品質が高く、露天掘りで対処できることから、第二次世界大戦の戦中、戦後の疲弊したソ連経済を支えるほどの採掘量を見せた。
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囚人労働者の待遇は劣悪で、満足な防寒具や食料を与えられずに永久凍土下の鉱脈掘削に駆り出されるなど酷使された。看守側も囚人の監督不行や生産量の減少などを口実に絶えず粛清が行われる状況にあり、恐怖心から労働者の酷使を強化する悪循環を繰り返した。しかし、補充要員となる政治犯は、次々と中央から送り込まれる状態であり、労働者の使い捨ては問題にならなかった。最盛期には、(船で到着してから鉱山で斃死するまで)平均寿命3週間とも言われ、数少ない生還者から国内に現地の状況が漏れ伝わるにつれ史上最悪の鉱山として恐れられるようになった。

第二次世界大戦後には、日本軍兵士のシベリア抑留の一部がコルィマの金鉱開発に回され、生きて戻れなかった者も多かったとされる

1953年、スターリンが死去し恐怖政治の時代が去ると、政治犯は次々と名誉回復の手続きが行われ、翌1954年にはマガダン市のダリストロイも解散。以後は、一般労働者中心による開発が進められることとなった。

2000年代に入っても操業が続けられており、金の生産量は年間20t前後。年の半分は操業が難しく、永久凍土の掘削が必要となる厳しい環境にはあるが、現在のロシアでも屈指の生産量を誇る。

2009年04月29日

神話での記述

『古事記』においては、イザナギがイザナミの居る黄泉の国から生還し、黄泉の穢れを洗い流した際に、左目を洗ったときに化生したとしている。このとき右目から生まれたツクヨミ、鼻から生まれたスサノオと共に、三貴子と呼ばれる。このときイザナギは天照大御神に高天原を治めるように指示した。

海原を委任されたスサノオは、イザナミのいる根の国に行きたいと言って泣き続けたためイザナギによって追放された。スサノオは根の国へ行く前に姉の天照大御神に会おうと高天原に上ったが、天照大御神は弟が高天原を奪いに来たものと思い、武装して待ち受けた。スサノオの潔白を証明するために誓約をし、天照大御神の物実から五柱の男神、スサノオの物実から三柱の女神が生まれ、スサノオは勝利を宣言する。

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天照大神の物実から生まれ、天照大御神の子とされたのは、以下の五柱の神である。

アメノオシホミミ
アメノホヒ
アマツヒコネ
イクツヒコネ
クマノクスビ

これで気を良くしたスサノオは高天原で乱暴を働き、その結果天照大御神は天岩戸に隠れてしまった。世の中は闇になり、様々な禍が発生した。(知恵の神様の秩父の神様天の八意思金命(やごころおもいかねのみこと)と天の児屋根命など八百万の神々は天照大御神を岩戸から出す事に成功し、スサノオは高天原から追放された。

葦原中国に子のアメノオシホミミを降臨させることにし、天つ神を派遣した。葦原中国が平定され、いよいよアメノオシホミミが降臨することになったが、その間にニニギが生まれたので、孫に当たるニニギを降臨させた。

2009年04月14日

蘇東成(そ とうせい、1953年 - )

蘇東成(そ とうせい、1953年 - )は中国武術家。 実戦派として実力のある中国武術家として知られ、日本以外にもアメリカ、フランス、イスラエル、台湾など世界各国で指導を行っている。

略歴 [編集]
1953年台湾台北市に生まれる。

14歳のときより洪懿詳(多くの門派を学び唐手道(タンソータオ、空手道のことではない)を編み出した)のもとで中国武術の修行を開始する。

16歳の時、台北市第1回国術オープントーナメント(擂台)に出場し準優勝。その翌年には同大会優勝。

1973年、日本に移住。

チック ぐうわ ラガーマ ヒール 黄砂の時間 ヨル ラジル セルン レイン ピックス フリーク 黄金バッド ランナー ウエポン ハムスライ かいわれ セサミン ガスホ ラスパ ヒップ バレンタ ルナス フェミニ ホガニー オランウー トレイン レッスン キムチ ビーチ サイト リードグ シルバ シフォンケ グッド カプチーノ ヒット フェロ ビーシ 男の街 フリー ミニマム ウンボク りゅうがん オーナー ちりめん ブーケト キレート フレン ドライバー バリュー


1976年、中国武術の指導を始める。この頃、蘇は自らの武術を洪から学んだ通り「唐手道」と呼んでいた。

1979年、易宗精武会を設立。

1983年、常東昇よりシュアイジャオを教わる。

1989年、何福生に拝師し、何福生の関門弟子となった。

1998年、進化的な運動理論を研究し、中国武術のエッセンスを教授すべくEssence of Evolutionを設立。

蘇東成の武術 [編集]
蘇東成は中学、高校時代から喧嘩にあけくれ、長じてからも台北や新宿歌舞伎町をはじめとするストリートで数百回に及ぶ実戦を経験してきたという。歌舞伎町では4年間、プロの用心棒として過ごしていた。

彼は競技ではない「実戦」としての武術を志向する。実戦においては勝つことではなく負けないこと。何が起こるかわからない実戦の場においてあらゆる可能性に対応できることが重要である。

蘇東成の武術は伝統的な中国武術がベースになっているが、これに捉われることなく中国武術の再構築を目指している。重要なのは流派の名前や権威ではなく、流派の運動のエッセンスを取り出し使いこなすことである。

蘇は独自にエッセンスを抽出し再構築した内家拳套路を総体形意拳、螺旋八卦掌、流体太極拳と命名している。形意拳で全身を適切なバランスで上下、左右、前後に正しく動かす方法を訓練し、八卦掌でそれら三つのベクトルを統合し、太極拳で心身をより細かく機能させることを訓練する。

一貫技法
打撃・捌き・つかみ・投げ・関節技などを個別の技として寄せ集めて使用するのではなく、全てを一貫して使用する技法。打撃は相手との接触点をつくるためのきっかけとして利用する。

交叉技法
相手の攻撃をガードで凌ぐのは、武器が使用される可能性がある実戦においては危険である。耐えるでも避けるでもなく、相手の攻撃と別角度から動きを交叉させ、相手の動きを制御する攻防一体の技法。

交錯技法
交叉した後、つかみ、投げへと流れるように変化してゆく技法。螺旋の動きなどを利用する。

2009年03月30日

スラング(slang)

スラング(slang)は、特定のエスニック集団、職業、年代、生活環境、ライフスタイル、趣味、嗜好を共通にする集団の中でのみ通用する隠語、略語、俗語のこと。標準となる生活の中で喋られる口語に対し、スラングは一般性、共通性がなく、口語として通用しているものと同じ単語でありながら、さかさま言葉であったり、違った読みをしていたりと、敢えて一般人には理解できないような用法をするものが多い。

スラングは専門用語とは異なり、その特定の分野における公的な言葉とは見なされないが、言葉の「経時変化」により、スラングから転じて専門用語の扱いとなる事もある。
マルトース テノール ショート セント エピロ フリンジ デネボラ ジャケツ モモアク ラウンド ドナー シニフィ きたひろ パンフォス デポ最新 ライス バラスト ワンレン ジュニ キメラ マスド ギブス スカブラ アーティ マーメイド ミサリー リンガイ マザー メーソン ウショウ ダイス ピンナップ ノック ランボ ノッポ プロフ あめだ スクラム インタ ヒップ スタイル シャベル ミール スポンジ ハティ アイホール リナム ハッスル サタン アフロ

特に大都市の若者文化の中から生まれたスラング、薬物、スケボー、若者ファッションに関するスラングは数が多い。若者言葉、ギャル語、チェキ語という分類をされる言葉もスラングの一種である。

スラングの機能や起源 [編集]
スラングは、一般に公然の場で、はっきりと口に出していうのが、躊躇われるような言葉、あるいは性別によって、それを口にするとみっともないと見なされるような性役割的なタブーを、別の言葉で言い換えるというのが、社会的なひとつの起源となっている。特に、性、暴力、犯罪、薬物、差別に関するものなどはこうした由来を持つことが多い。

また、その発生は、特定の時代の風潮、ファッションやエンタテイメントの流行に依存することも少なくなく、その背景を知らなければ、その言葉を理解できないということもある。一定の文化を共有しあうエスニック集団に固有のものとして発生したスラングは、それの意味するところを理解するかどうかで、その集団に帰属するかどうかの識別信号としても機能することがある。

2ちゃんねるが周知化されたここ数年、若者言葉を嫌悪するような、インターネットユーザーがスラングを使用する状況は皮肉と言えよう。

スラングの例 [編集]
Wanna(原音に近い日本語表記で:ウォナ) - Want to(同様に:ウォン トゥ)

日本 [編集]
さまざまなかたちで生まれている。そのいくつかの例を挙げる。

単語の中の文字を入れ替えたもの(言葉の逆さ読み等)。- TV、芸能業界でよく用いられる(有名なところでは「ワイハ」→ハワイ、「ザギンでシースー」(銀座で寿司))。
長い言葉を縮めたもの。- 女子高校生などに多い(1990年代の一時期に流行した「チョベリバ」(=超ベリーバッド)など)。
言葉をローマ字化し、そのそれぞれの頭文字だけをつないだもの。 - もともとは女子高校生に多かった(MK5=マジ(Maji)でキレ(Kire)る5秒前、など)。また、2007年の流行語大賞にノミネートされた「空気が読めない」(KY = Kuuki ga Yomenai)もこのタイプ。これを受けてKY式略語関連の出版物も発売される。その他、インターネットスラングにおいてもwやwww(「笑ったよ」→「ワロタ、又は藁(warota, waraの頭文字)」)、wktk(「ワクワクテカテカ」→「ワクテカ(wakuteka)」→wktk)やgdgd(「グダグダ」→「gudaguda」)などの用法で見られる。

2009年03月16日

デルベント

デルベントは、ロシア・ダゲスタン共和国にある都市である。ロシア最南端の都市であり、ダゲスタン共和国第2の都市でもある。人口は、101,031人(2002年国勢調査)である。アゼルバイジャン人が最も多く、en:Lezgins、en:Tabasaran peopleがそれに続く。

アレクサンドロスの門(en)の伝説が残る都市であり、デルベントは、ロシア最古の都市と言われる。2003年に、UNESCOの世界遺産に「デルベントのシタデル、古代城壁、要塞建築物群」の名前で登録された。

現在のデルベントの町は、カスピ海の西岸に位置し、タバサラン山頂からの傾斜面に位置する。デルベントは交通の便がよく、港湾施設を持ち、アゼルバイジャンの首都であるバクーとは鉄道とロストフ・オン・ドン道路で結ばれている。

デルベントの経済の中心は、食品、織物、漁業、木工品などが挙げられる。また、ロシアにおけるブランデー生産の中心でもある。


歴史 [編集]
デルベントは、カフカス地方において、戦略的に重要な場所に位置している。カスピ海とコーカサスの山々との間では、幅が3キロメートルしかない。

歴史的に、デルベントは、ユーラシア草原と中東を結ぶ交通の要衝であったため、様々な民族の衝突の舞台となってきた。

デルベントにおける最初の住居は、紀元前8世紀に遡る。紀元前6世紀には、ペルシャの王によって支配されていた。紀元前4世紀までには、コーケイジャン・アルバニア人(en:Caucasian Albania)が建国した国の首都として機能していた。現在のデルベントの名前の由来はペルシャ語の「閉じられた門」に由来する。5世紀の終わりかあるいは6世紀の始まりには使用されるようになっており、この頃は、サーサーン朝の皇帝カワード1世(en: Kavadh I)によって統治された時代であった。

カワード1世の子供であるホスロー1世の時代に、デルベントの北を臨む監視塔を備えた高さ20メートルの城壁が建設された。アルメニア人の7世紀の歴史家であるMovses Kaghankatvatsiが叙述した年代記にも、驚嘆の言葉を添えての記述がなされている。ホスローの建設の結果、デルベントは、サーサーン朝の強固な要塞、港として機能した。5世紀から6世紀の間には、デルベントは、カフカス地方におけるキリスト教布教の拠点となった。

第3次ペルシャ・トルコ戦争(en、サーサーン朝と西突厥の間で起きた627年から629年の間の戦争)において、デルベントは一旦、西突厥の支配下に置かれることとなったが、その後、ペルシャによって再度、統治されることとなった。654年には、アラブ人勢力の支配下に置かれることとなり、デルベントは東カフカス地方の行政の中心になるとともに、この地方にもイスラームが浸透することとなった。戦略上の地位のために、デルベントはシルク・ロードの北へつながる支線の出発地点となり、後には、アラブ人とハザールの間で、争われることとなった(ハザール・アラブ戦争en)。

アッバース朝の第8代カリフであるハールーン・アッ=ラシードは、デルベントに居住したこともあり、デルベントは、芸術と商業の中心となり、評判となった。アラブ人の歴史家の叙述によると、9世紀にはカフカス地方では最大の5万人の人口を誇る都市になったとある。カリフ制度が崩壊すると、デルベントはイスラームの首長国となり、サリル(en、現在のダゲスタン共和国に5世紀から12世紀の間存在したキリスト教国家)と争うこととなる。デルベントの首長国は、1239年のモンゴル帝国による侵攻まで繁栄した。

14世紀になると、デルベントはティムールの軍隊によって征服された。1437年には、ペルシャのシルヴァンシャー朝(en)の支配下に入った。16世紀にはサファヴィー朝とオスマン帝国との間の戦場となり、アッバース1世の時代には、トルコ軍に大きな打撃を与えたことで、デルベントはサファヴィー朝の支配下に入った。

1722年には、ロシア帝国とペルシャの間で第1次ロシア・ペルシャ戦争(en)がピョートル1世の手によって勃発しデルベントはロシア帝国の支配下に入ることとなったが、1736年には、再び、ナーディル・シャーの手によって、ペルシャの支配下に入った。1747年にはデルベント藩王国が創設されその首都となった。第2次ロシア・ペルシャ戦争(en)において、デルベントは、ヴァレリアン・ツボフ(en)が指揮するロシア軍の砲撃を受け、その結果、1813年のグリスタン条約(en)において、ロシアとペルシャの間で平和条約が結ばれ、それ以後、デルベントはロシア帝国に所属することとなった。
スキミン ソーター ブロッキ レニア ツーリング ナスカ イジェクト ビッグ カット 管弦楽団 ユース イブ日本 バンコ ゾーニング フルスピ モンテ サクラ キット モメンタム スラング 波間 ヒロポン ハシソウ プレース ジャル めんだ トラベラ パロディ タイプ オーバー ウィグ パキラ そらち ダラー シロッコ バーベナ ダーク フリー スーツ マウス ネクタ ネチズ ヨット バリ デリン ブルーデー フェルト イーブン ブライ にしままい

デルベントに残る城壁と監視塔の多くが、当時の姿を残している。6世紀から残る二重の城壁の長さは約40キロメートルに及び300から400メートルの距離を置いて、平行に建設された。城壁に囲まれた約45,000平方メートルの範囲が世界遺産に登録され、6世紀に建設されたキリスト教のバジリカ、8世紀に建設されたモスク、15世紀に建設されたマドラサ、19世紀に建設されたアルメニア正教の教会が存在する。

2009年02月26日

南米に逃れたナチス残党によって結成された組織及び軍団

南米に逃れたナチス残党によって結成された組織及び軍団。名前のミレニアムは千年王国の意味を持ち、「最後の大隊(ラスト・バタリオン)」と名乗ることもある。指揮官である「少佐」以下1000名の構成員全てが吸血鬼化した戦闘団(カンプグルッペ)であり、士官の中には「ヴェアヴォルフ」と呼ばれる特殊能力を持った幹部もいる。またSS大隊であるが、空軍、海軍の士官やSS降下猟兵の姿も見受けられる。さらに各所にスパイやシンパもおり、単なる捨て駒から重要拠点の制圧などの作戦行動を担っている者もいる。

その前身は、大戦中よりヒトラーの命令「総統特秘666号」を遂行すべく結成され「少佐」を筆頭に人為的な吸血鬼作成の研究を行っていた独立部隊。資金集めや、永遠の命を餌に一部のバチカン関係者との協力関係の構築も行っていた。戦中は成り損ないのグールしか作れずそれもヘルシング機関によって潰されるが、戦後に逃れた南米で研究を成就させる。

物語初期では南米ジャブローの本拠地・豹の巣(パンテルシャンツェ)から使い捨ての吸血鬼たちを使い散発的に英国を襲わせてデータを集め、中盤より第二次ゼーレヴェ(あしか)作戦を発動してロンドン侵攻を行う。ナチス亡き今、正規軍と呼べるものではないが宣戦布告を行うなどあくまで英国と対等関係での戦争行為を自負している。

少佐の意のままに動く軍隊であるが、その最終目的は判然としない。

少佐
声 - 飛田展男(OVA版)
ミレニアムの指揮者で、眼鏡をかけた肥満体の男性。正式な階級はSS大隊指揮官(親衛隊少佐)。作中では「少佐」「総統代行」「大隊指揮官」等の階級・役職名でしか呼ばれていない。
「目的のためには手段は選ばない」という『君主論』を引き合いに出した上で、「手段のために目的は選ばない」と称するほどの戦争狂。その言動の節々に戦争に対する造詣と狂気があり、特に「諸君 私は戦争が好きだ」に始まる大演説は有名で『HELLSING』の登場人物中においても圧倒的な存在感を持つ。ただ、実際には全てアーカードを倒すという目的に基づいて行動している。また相当な策略家で自軍の損失を含めて全て計算通りに事を進めている。
60年前と比べて外見上まったく老化が見られず部下たちと同じく吸血鬼と見られていたが、その正体はサイボーグ。「人間」を「意思の生き物」と定義しており、それゆえ血液を介して他者と融合する吸血鬼の本質を憎みこれを否定する。たとえ見た目が「化物」のようであっても確固たる意思を持つ己は「人間」であるとしており、逆に吸血鬼(アーカード)を「人間」のような「化物」として人としてアーカードを倒すことを人生の目的とした。そのため、第二次世界大戦時にソ連兵に撃たれた際にはアーカードのように生身の状態から吸血鬼になれる可能性があったのにも関わらずこれを拒否している。
サイボーグ化する前でも後でも元SSでありながら射撃の腕はとてつもなく下手であり、運動能力は高くないと思われる。
第二次世界大戦中に「総統特秘666号」の特命を受け人為的吸血鬼研究を始めるが(当時は少なくとも中尉)、1944年9月のワルシャワで研究機関をヘルシングに潰され戦後は南米に逃れる。その後、形式上は上官にあたるナチ残党の大佐らが上層部に就き自身はその下に従う立場であったが(それでも総統の特命と言う名目で実質的に組織を仕切っていたが)、第二次ゼーレヴェ作戦を前にこれを粛清して名実ともにミレニアムのトップとなる。
カバー裏などのオマケでは作中でのキャラが一転して側近の大尉、博士と共にオタクキャラとなっており、コミケなどに参加している。
原型となったのは『COYOTE』全編を通して登場する悪役キャラ、モンティナ・マックス(髪型・衣装は同じだが痩身の青年)。続編である『ANGEL DUST』では、サイボーグ化され長髪長身の美形キャラとなって再登場している。また、本名に関しても4巻41Pの背景の文字中や5巻表紙カバー裏側の身分証から同じモンティナ・マックスと考えられる。
大尉
襟を立てた熱帯用オーバーコートと規格帽といった、北アフリカ戦線風の軍人。寡黙で無表情(劇中で一度も喋った事が無い)。作中では「大尉」としか呼ばれず本名は不明。 常に少佐の傍らにつき従う側近でヴェアヴォルフ筆頭。
サーベルと見紛うほどの長銃身を持つモーゼルM712(メーターモーゼル)が愛銃。物語前半では正体が伏せられていたがその正体は正真正銘の人狼(ヴェアヴォルフ)であり、ミレニアムの最高戦力とされる。巨大な狼そのものの姿になったり、霧のように身体の構造を変える事もできる。
第二次ゼーレヴェ作戦ではヘルシング機関へ向かうインテグラの車両に立ち塞がり、インテグラとウォルターを引き離し拘束制御術式零号開放寸前のアーカードに挑む。その後、デウス・エクス・マキナ船内でセラス(及び彼女内部のベルナドット)と戦い終始優勢に進めるが、最後はベルナドットの手によりナチスが収集した財産の一つである「銀の差し歯」を心臓に撃ち込まれて死亡した。
原型となったのは『砂漠の用心棒』の主人公であるハンス・ギュンシュと思われ(4巻41Pの背景の文字中にも名前は有るが本編中で名前は呼ばれていない)同じく熱帯向けの軍装である。
博士(ドク)
声 - 中博史(OVA版)
吸血鬼製造などの研究を行っているマッドサイエンティスト。作中では「ドク」としか呼ばれず本名は不明。少佐の側近。
いつも血塗れの白衣と多重レンズ付の眼鏡を身につけている。外見は、外伝『THE DAWN』の登場時より老化が見られない。ポケットに無線式発火装置の起爆等を兼ねた多機能コントローラーを2台ほど携帯し、ヤンの発火など部下の処断は彼が直接手を下している。ナチス時代から吸血鬼製造の主任を務めている。
少佐を怖れている節もあるが、彼に褒められるのが好きで、彼の死後も「少佐殿の大隊を笑われてたまるか!」と口にするなど、指揮官として心底慕っている様子。外伝では手料理(ザワークラウトや腸詰など。特にザワークラウトは、キャベツから育てたらしい徹底ぶりである)を作って少佐をもてなしている。
少佐の死亡と前後して、自らの研究を続けるため脱出しようとするも、ウォルターに阻まれる。彼を発火させようとリモコンを出したところで片手片足を切断され、最期はウォルターに落とされた機材に潰されて死亡する。
原型となったのは『イカす総統天国』に登場したお抱え術士・ベルクマンではないかと推測される。
シュレディンガー准尉
声 - 白石涼子(OVA版)
ヒトラーユーゲントの服装をした猫耳の少年。ヴェアヴォルフの一人。
性格はまさに自由気ままな猫といった感じで、少佐にも平気で憎まれ口を叩く(少佐自身もそれを許している)。しかし、大尉にだけは弱い。
頭を吹き飛ばされても死なず、何事もなかったかのように再登場する。また一瞬にして離れた場所に出現したり、あるいはゾーリンの時のように他者の思考の中に現われたりもする。曰く「僕はどこにでもいて、どこにもいない」。より具体的には「彼が自分自身を認識出来る状態にある限り(どこにでも)存在できる」という能力で、ヴェアヴォルフの中でも殊更に特異な能力である。
第二次ゼーレヴェ作戦ではアーカードの消滅のため(他者の命と混じる事で、彼は自分自身を認識出来ない状態となり、彼の「命」と同化したアーカードもまた同じ状態になってしまう)自らの首を切り落としロンドンの血の海へ落下。そのままアーカードに吸収され、少佐の作戦は成功する事となる。
シュレーディンガーの猫の話(半死半生の状態の重ね合わせ)を基にしたと思われる特異能力は、他作品でも多数見られる。
ゾーリン・ブリッツ中尉
スイート ビジブル 神の蔵 梅最適 ノマド 天空の城 ほない スポー メセナ ノーブル ルピア レシピ ビーエル ナビサド インテーク オーバー ベックス イッシュー ムラグ おのいして ガーベラ バターケ ピッチ リアフレ デルレイ ソシオ ひるぜん ストロ ビジョナリー ミブーツ デポジット フレッ シンフ マザー ウルク たつごう キヨス モルツ トゼブラ シェルタ マホメ ふたみ せっさ マヌカン レクチン クロヨン プラグ ナッシ トーチ リョウ

声 - 沢海陽子(OVA版)
短髪で右半身に奇怪な紋様を刻んでおり右目が斜視気味の女吸血鬼。死神を連想させるような大鎌を武器にし、また幻術を行使する。ヴェアヴォルフの一人。
幻覚の発動時には右半身に刻まれた刺青が蠢くような感じとなり、自身が巨大化しているように見せたり怪我を負わせたような感覚を与えたりできる。さらには相手の記憶を汲み取った幻覚を見せることもできる。ただし、目に頼らない吸血鬼には利かない。
第二次ゼーレヴェ作戦にて少佐の命を受け、斬り込み部隊を率いてヘルシング機関を強襲する。その後、一時苦戦を強いられるも幻術によって事態を打破し独断専行によってヘルシング邸に突入、ベルナドットの傭兵部隊を殲滅する。さらにセラスに致命傷を与え、ベルナドットを殺害するもベルナドットの血を吸って覚醒したセラスによって壁で頭を磨り潰されて倒される(頭の一部が辛うじて残るくらいまで削られ、巻末のおまけページでは「死因はもみじおろし」と称される)。死ぬ前に既に兵を失っていたため、最期は少佐にも見限られていた(もっとも少佐にとってはそれも計画に折り込み済みの事案であり、むしろ「兵の華である」と評している。その上で「無能な部下を処断するのも指揮者の華」として切る)。
リップヴァーン・ウィンクル中尉
声 - 坂本真綾(OVA版)
長髪に眼鏡の女吸血鬼。旧式マスケット銃を武器に、魔弾の能力を持つ。魔弾の射手。ヴェアヴォルフの一人。
武器のマスケット銃でホーミング能力を持った銃弾を撃つことができ、さらにこれは対象に命中した後も運動能力を失わず一発で複数の獲物を仕留めることができる。この能力で、少佐から歌劇になぞらえて「魔弾の射手」の称号を与えられる(直接は知らないはずだが、「魔弾」のあだ名自体はヘルシング機関でも用いられている)。本人も気に入っている様子で『魔弾の射手』(の「狩人の合唱」)を歌っている場面が多くある。
作中では降下猟兵部隊を率いて英国海軍のインヴィンシブル級航空母艦「イーグル」を乗っ取りハーケンクロイツを染め抜いた旗艦「アドラー」(ドイツ語で鷲を意味し、イーグルと同義)を立ち上げ、第二次ゼーレヴェ作戦直前の陽動作戦を行う。そして高速戦略偵察機改造の実験機・SR-71改を駆るアーカードに突入され、自身のマスケット銃を心臓に突き立てられた上で彼に食い尽くされて倒される。アーカードに一方的に屠られたが彼をロンドンから離れさせるという最大目標は達成しており、少佐より「任務を果たした」としてミレニアム全軍が彼女に敬礼を捧げた(そもそもアーカードに倒されることは少佐にとって予想済みである)。
アーカードの拘束制御術式零号開放時にトバルカインと共に亡者の一人として復活し、最後の大隊と十字軍を攻撃している。また外伝『THE DAWN』では当時のアーカードと対峙しているが、怪物化した棺桶に一蹴されるなどギャグキャラ扱いとなっている(当時の階級はSS下級突撃隊指揮官=親衛隊少尉)。
トバルカイン・アルハンブラ
声 - 大塚芳忠(OVA版)
ペルシア的な風貌で「伊達男」の異名をとる吸血鬼。中尉。無限枚数のトランプ(カード)を武器とする。シュレディンガーの言葉によるとヴェアヴォルフではない。
「伊達男」の異名通りのいでたちで紳士的な言動を取るが、しばしば「Gooood」や「なぁぁぁぁめぇぇぇぇるぅぅぅぅぅなぁぁぁぁ!」など、間延びしたような話し方をする。武器のカードで傷つけられた傷は修復できない。
ミレニアムの情報を集めるためにブラジルにやってきたアーカード達を迎え撃ち、当初はアーカードと互角に戦うも結果は惨敗。アーカードに「血」から情報を引き出された挙句、体内に仕掛けられた無線式発火装置によって燃え尽きた。
アーカードの拘束制御術式零号開放時にリップヴァーンと共に亡者の一人として復活し、最後の大隊と十字軍を攻撃している。
バレンタイン兄弟
声 - (兄)子安武人 / (弟)中井和哉(TV版)、高木渉(OVA版)
兄・ルークと弟・ヤンの吸血鬼兄弟。ルークは准尉。武装したグールの群れを率いて円卓会議中のヘルシング機関を強襲する。
ルークは白を基調としたイメージのジェントルで、ヤンは黒を基調としたチーマー風の青年。ヤンは瞬発力以外に目立った能力は見られなかったが、ルークは近距離で銃撃をかわす反射神経と常人の目では捉えられないスピードを持ちアーカードからA級と評される。また、ルークは左腕に小型拳銃を仕込む用心深さも見せている。
ルークは単身アーカードに挑み、彼にある程度認められて拘束制御術式の開放にまで及ぶ。しかし使い魔や修復能力など持たない人為的な吸血鬼であり、特殊能力も無いために瞬く間に追い込まれてアーカードを落胆させ、最後は黒犬獣に喰われる。ヤンはグール部隊を率いてヘルシングの構成員の殆どを殺害するも、セラスとウォルターにグール部隊を壊滅させられた挙句に捕縛される。最後、仕掛けられた発火装置によって体が燃える中「ミレニアム」という言葉を残して灰と化す。
ルークはアーカードの拘束制御術式零号開放時には登場しなかったが(血を吸われたわけではないから)、ウォルターとの戦いで黒犬獣が両断された際に再登場する。また、あくまでアーカードという存在になったわけでは無かったのでウォルターに強制的に操られながらもミレニアムの構成員としてアーカードを攻撃する。しかしアーカードに血を吸われて同化し、ウォルターを出し抜くための囮として本当の最期を迎える。
TVアニメ版では設定が異なりロンドン暗黒街の顔役で、TV番組のスクープを通じて存在を知ったヘルシング機関を排除しようとした。その最期はほぼ原作に準じているが、ヤンは完全な焼身自殺である。
作者のお気に入りらしく巻末などのおまけ漫画「ルークとヤンの人情紙○○」(○○の部分は毎回適当な単語に置き換わる。また一番初めは人情ではなく人生だった)では主役を張っており、自作品・他作品のパロディから特別意味の無い適当な内容などで掛け合い漫才のようなことをやっている。
彼女
外伝『THE DAWN』に登場。1944年9月のワルシャワにおいて全身を隙間なく包帯で巻かれた上、ベルトや鎖などで雁字搦めに拘束され吸血鬼の人工製造機関の研究所に幽閉されている。
少佐らは彼女をヒロインと称し、彼女を模倣する事で吸血鬼を作ろうとした。
その正体はストーカーの原作小説の登場人物ミナ・ハーカーの死体。ウォルター曰く「吸血鬼ドラキュラ=アーカードが血を吸い吸われた唯一の存在」。ドラキュラに血を吸われ吸血鬼になりかけるが、ヘルシング教授達がドラキュラを倒した時に人間に戻る。だが彼女の奥深くには吸血鬼の血が残っており、少佐達はその血から「ドラキュラ=アーカードの模倣」をする事を始めた。
第二次ゼーレヴェ作戦にて飛行船デウス・エクス・マキナ内の博士の研究室に積まれていたが、ミレニアムは壊滅し、彼女の死体も飛行船と共に燃え尽きた。

その他
山守義雄
天政会初代会長。単行本のあとがきでのキャラクター紹介でのみなぜか毎回登場している、東映配給の劇場版『仁義なき戦い』の登場人物である。
常に殴り書きのペンタッチで描かれる上、登場するたびに名前と肩書きの紹介が省略され説明文の内容が「身長50m以上、体重2兆トン」「ゲッターエンペラーが主食」などとエスカレートしていく(ちなみにゲッターエンペラーの大きさは冥王星も含めた太陽系に匹敵する)。単行本9巻の紹介文で「このまんがの主人公」とまで言われる存在である。

2009年02月10日

万葉集

『万葉集』(まんようしゅう、萬葉集)とは、7世紀後半から8世紀後半頃にかけて編まれた、日本に現存する最古の歌集である。
ピンク バター 天使ノタ マルチ 華の段 メロン カーリング ゲットー バイオガス ハンカチ ハンドマ チューリン バナナ レパシー サープラ ロザリ キンリー ウエス シェリフ アンソ チェロ さらくやし ピーエル ギング モノキ トリポ ラップカ ハイデ 枸橘 高麗人参 リベラル ワイル ブレーキ ちょうせき トレーダー カモミー アージュ リム いっきく おのえ フィナーレ ゴニウム ノギス ソフト スポイル マベパール ラクトース きわの マフィン ングイン

天皇、貴族から下級官人、防人など様々な身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたもので、成立は759年(天平宝字3)以後と見られる。

『万葉集』の名前の意味については、幾つかの説が提唱されている。ひとつは「万の言の葉」を集めたとする説で、「多くの言の葉=歌を集めたもの」と解するものである。これは古来仙覚や賀茂真淵らに支持されてきた。仙覚の『万葉集註釈』では、『古今和歌集』の「仮名序」に、

やまとうたは人の心をたねとしてよろづのことのはとぞなれりける
とあるのを引いている。ただし、『古今集』の成立は『万葉集』よりも時代が下るので、この語釈が『万葉集』成立後にできあがったものという可能性も否定できず、そのまま『万葉集』の由来としてあてはめることには疑問もある。

その他にも、「末永く伝えられるべき歌集」(契沖や鹿持雅澄)とする説、葉をそのまま木の葉と解して「木の葉をもって歌にたとえた」とする説などがある。研究者の間で主流になっているのは、『古事記』の序文に「後葉(のちのよ)に流(つた)へむと欲ふ」とあるように、「葉」を「世」の意味にとり、「万世にまで末永く伝えられるべき歌集」と取る考え方である。

編者
『万葉集』の成立に関しては詳しくは判っておらず、勅撰説、橘諸兄説、大伴家持説など、古来種々の説があるが、現在では家持説が最有力である。ただ『万葉集』は一人の編者によってまとめられたのではなく、巻によって編者が異なるが、家持の手によって二十巻に最終的にまとめられたとするのが妥当とされている。

成立
『万葉集』二十巻としてまとめられた年代や巻ごとの成立年代について明記されたものは一切ないが、内部徴証から、おおむね以下の順に増補されたと推定されている。

 (1)巻1の前半部分(1-53番)…原・万葉集

各天皇を「天皇」と表記。万葉集の原型ともいうべき存在。持統天皇や柿本人麻呂が関与したか。
 (2)巻1の後半部分+巻2増補…2巻本万葉集

持統天皇を「太上天皇」、文武天皇を「大行天皇」と表記。元明天皇の在位期を現在としている。元明天皇や太安万侶が関与したか。
 (3)巻3?巻15+巻16の一部増補…15巻本万葉集

契沖が万葉集は巻1?16で一度完成し、その後巻17?20が増補されたという万葉集二度撰説を唱えて以来、この問題に関しては数多くの議論がなされてきたが、巻15までしか目録が存在しない古写本(「元暦校本」「尼崎本」等)の存在や先行資料の引用の仕方、部立による分類の有無など、万葉集が巻16を境に分かれるという考え方を支持する証拠は多い。元正天皇、市原王、大伴家持、大伴坂上郎女らが関与したか。
 (4)残巻増補…20巻本万葉集

延暦2年(783年)頃に大伴家持の手により完成。
ただし、この『万葉集』は公に認知されるものとはならなかった。延暦4年(785年)、家持の死後すぐに大伴継人らによる藤原種継暗殺事件があり、家持も連座したためである。その意味では、『万葉集』という歌集の編纂事業は、恩赦により家持の罪が許された延暦25年(806年)にようやく完成したといってよい。

構成
全二十巻であるが、首尾一貫した編集ではなく、何巻かずつ編集されてあったものを寄せ集めて一つの歌集にしたと考えられている。

歌の数は四千五百余首から成るが、写本の異伝の本に基づく数え方があり、歌数も種々様々の説がある。

各巻は、年代順や部類別、国別などに配列されている。また、各巻の歌は、何らかの部類に分けられている。

内容上から雑歌(ぞうか)・相聞歌(そうもん)・挽歌(ばんか)の三大部類になっている。

雑歌 「くさぐさのうた」の意で、相聞歌・挽歌以外の歌が収められている。公の性質を持った宮廷関係の歌、旅で詠んだ歌、自然や四季をめでた歌などである。
相聞歌 「相聞」は、消息を通じて問い交わすことで、主として男女の恋を詠みあう歌である。
挽歌 棺を曳く時の歌。死者を悼み、哀傷する歌である。
表現様式からは、

寄物陳思(きぶつちんし)恋の感情を自然のものに例えて表現
正述心緒(せいじゅつしんしょ)感情を直接的に表現
詠物歌(えいぶつか)季節の風物を詠む
譬喩歌(ひゆか)自分の思いをものに託して表現
などに分けられる。

巻十四だけが東歌(あずまうた)の名をもっている。この卷には、上総・下総・常陸・信濃四国の雑歌、遠江・駿河・伊豆・相模・武蔵・上総・下総・常陸・信濃・上野・下野・陸奥十二国の相聞往来歌、遠江・駿河・相模・上野・陸奥五国の譬喩歌・国の分からないものの雑歌、相聞往来歌・防人歌・譬喩歌・挽歌・戯咲歌などが収められている。

歌体は、短歌・長歌・旋頭歌(せどうか)の三種に区別されている。短い句は五音節、長い句は七音節からなる。

短歌は、五七五七七の五句からなるもの。
長歌は、十数句から二十数句までのものが普通であり、五七を長く続け、最後をとくに五七七という形式で結ぶもの。長歌の後に、別に、一首か数首添える短歌は反歌と呼ばれている。
旋頭歌は、短長の一回の組み合わせに長一句を添えた形を片歌といい、この片歌の形式を二回繰り返した形である。頭三句と同じ形を尾三句で繰り返すことから旋頭歌とついたといわれる。

時期区分
歌を作った時期により4期に分けられる。

第1期は、舒明天皇即位(629年)から壬申の乱(672年)までで、皇室の行事や出来事に密着した歌が多い。代表的な歌人としては額田王(ぬかたのおおきみ)がよく知られている。ほかに舒明天皇・天智天皇・有間皇子・鏡王女(かがみのおおきみ)・藤原鎌足らの歌もある。
第2期は、平城遷都(710年)までで、代表歌人は、柿本人麻呂・高市黒人(たけちのくろと)・長意貴麻呂(ながのおきまろ)などの官人達の儀礼的な場での宮廷賛歌や旅の歌などが有名である。他には天武天皇・持統天皇・大津皇子・大伯皇女・志貴皇子などである。
第3期は、733年(天平5)までで、個性的な歌が生み出された時期である。代表的歌人は、自然の風景を描き出すような叙景歌に優れた山部赤人(やまべのあかひと)、風流で叙情にあふれる長歌を詠んだ大伴旅人、人生の苦悩と下層階級への暖かいまなざしをそそいだ山上憶良(やまのうえのおくら)、伝説のなかに本来の姿を見出す高橋虫麻呂(むしまろ)、女性の哀感を歌にした坂上郎女(さかのうえのいらつめ)などである。
第4期は、759年(天平宝字3)までで、代表歌人は旅人の子で大伴家持・笠郎女(かさのいらつめ)・大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)・橘諸兄(たちばなのもろえ)・中臣宅守(なかとみのやかもり)・狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)・湯原王などである。
歌の作者層を見てみると、皇族や貴族から中・下級官人などに波及していき、作者不明の歌は畿内の下級官人や庶民の歌と見られ、また東歌や防人歌などに見られるように庶民にまで広がっていったことが分かる。さらに、地域的には、宮廷周辺から京や畿内、東国というふうに範囲が時代と共に拡大されていったと考えられる。

歌風
「防人の歌」(さきもりのうた)「東歌」(あずまうた)など、貴族以外の民衆の歌が載っている極めて貴重な資料でもある。派手な技巧はあまり用いられず、素朴で率直な歌いぶりに特徴がある。賀茂真淵(かものまぶち)はこの集を評してますらをぶりと言った。

万葉仮名
全文が漢字で書かれており、漢文の体裁をなしている。しかし、歌は、日本語の語順で書かれている。歌は、表意的に漢字で表したもの、表音的に漢字で表したもの、表意と表音とを併せたもの、文字を使っていないものなどがあり多種多様である。

編纂された頃にはまだ仮名文字は作られていなかったので、万葉仮名とよばれる独特の表記法を用いた。つまり、漢字の意味とは関係なく、漢字の音訓だけを借用して日本語を表記しようとしたのである。その意味では、万葉仮名は、漢字を用いながらも、日本人による日本人のための最初の文字であったと言えよう。

ウィキクォートに大伴家持に関する引用句集があります。万葉仮名で書かれた大伴家持の歌

(万葉仮名文)都流藝多知 伊与餘刀具倍之 伊尓之敝由 佐夜氣久於比弖 伎尓之曾乃名曾

(訓)剣大刀 いよよ研ぐべし 古ゆ 清(さや)けく負ひて 来にしその名そ(卷20-4467)

(万葉仮名文)去來子等 早日本邊 大伴乃 御津乃濱松 待戀奴良武

山上憶良、大唐に在りし時、本郷を憶ひて作れる歌
(訓)いざ子ども 早く日本へ 大伴の 御津(みつ)の浜松 待ち恋ひぬらむ(卷1-63)

万葉仮名は、奈良時代の終末には、字形を少し崩して、画数も少ない文字が多用されるようになり、平安時代に至るとますますその傾向が強まり、少しでも速く、また効率よく文字が書けるようにと、字形を極端に簡略化(草略)したり字画を省略(省画)したりするようになった。 そうして「平仮名」と「片仮名」が創造されたのである。

現在でも万葉仮名は至る所で使用されており、難読地名などの多くは万葉仮名に由来するものが多い。

『万葉集』と方言
『万葉集』には「東風 越俗語、東風謂之安由乃可是也」(巻17・4017番)のように、当時の方言についてそれと明示した記述があるが、いちいち方言と銘打ってはいなくても、実は大量の方言が記録されている。即ち、巻14の東歌(あずまうた)と巻20の防人歌(さきもりうた)である。

東歌は東国地方の歌の意で、東国(今の関東・東北地方から東海地方まで含まれる)に伝わる歌を収集し、どの国の歌か判明している歌(勘国歌。90首+5首)と不明の歌(未勘国歌。140首+3首)に二分して収録している。多くの歌で上代の東国方言が多用されており、歌の成立年代や作者の出自、記録の経緯が一切不明という問題点はあるにしても、古代の方言の具体的な記録として重要な位置を占める。また、分量の豊富さも魅力である。

防人歌は東国から徴集された防人の詠んだ歌の意で、巻13や巻14にも少量見えるが、最も著名なのは巻20に「天平勝宝七歳乙未二月、相替遣筑紫諸国防人等歌」として84首収録されているものである。これは天平勝宝7歳(755年)に徴集された防人の詠んだ歌を、防人を率いてきた各国の部領使(ことりづかい)に命じて記録、上進させたもので、拙劣歌として半数近く(82首)が棄てられてはいるものの、採用された歌については作者の名前から出身国(国によっては郡名まで)まで逐一記されている。しかも、万葉集に採録するにあたって、内容はもちろん万葉仮名表記に至るまで上進時のままで改変されていない可能性が高く、東国方言資料としての価値は東歌を凌駕するものと評価されている。

以下に東歌と防人歌から1首ずつ挙げておく。

昼解けば 解けなへ紐の 我が背(せ)なに 相寄るとかも 夜解けやすけ(巻14・3483番)
(昼間解くと解けない紐が、夫に会うからというのか、夜は解けやすいことだ。)
比流等家波 等家奈敝比毛乃 和賀西奈尓 阿比与流等可毛 欲流等家也須家
草枕 旅の丸寝の 紐絶えば 我(あ)が手と付けろ これの針(はる)持(も)し(巻20・4420番)
(旅の丸寝をして紐が切れたら、自分の手でお付けなさいよ、この針でもって。)
久佐麻久良 多妣乃麻流祢乃 比毛多要婆 安我弖等都氣呂 許礼乃波流母志
上記の歌を見てもわかるように、『万葉集』に記録された東国方言には、現代の東日本方言と相通じるものが少なくない。中でも否定の助動詞「?なふ」や命令の終止法に付く終助詞「?ろ」は、現代東日本方言の「?ない」「?ろ」に連なる可能性が指摘されている。また、東国方言の四段動詞と形容詞の連体形は、「立と月」「愛(かな)しけ妹(いも)」のように中央語とは異なる独特の語形を取るが、八丈島で話される八丈方言は「書こ時」「高け山」のように、上代東国方言と同様の語形を取ることで知られている。日本語に方言は数あれど、このような活用を残すのは八丈方言だけである。

巻頭の歌
『万葉集』は全巻で20巻であるが、その巻頭の歌が、倭の五王の一人、雄略天皇の歌で始まっている。奈良時代の人々においても雄略天皇が特別な天皇として意識されていたことを示す。

大泊瀬稚武(おほはつせわかたける)天皇の御製歌(おほみうた)

籠(こも)よ み籠(こ)持ち掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち この岳(をか)に 菜摘(なつ)ます児(こ) 家告(の)らせ 名告(の)らさね そらみつ 大和(やまと)の国は おしなべて われこそ居(を)れ しきなべて われこそ座(ま)せ われにこそは 告(の)らめ 家をも名をも(巻1・1番)
篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家告閑 名告紗根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師吉名倍手 吾己曽座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母

日本古来の物語の原型説

竹取物語
巻16「由縁ある雑歌」には竹取の翁と天女が登場する長歌があり、竹取物語(かぐや姫物語)との関連が指摘される。

浦島太郎
巻9の高橋虫麻呂作の長歌に浦島太郎の原型というべき内容が歌われている。

捕鯨
万葉集には「いさな(鯨魚)」を詠んだ歌が詠われているが、いさなとは鯨魚、鯨名、勇魚、不知魚、伊佐魚とも表記していて、主に鯨類をさす。そして「いさなとり」は、捕鯨を意味し主に海、浦、浜、灘などを表す枕詞として使われていた。

巻 二
「いさな取り」 淡海の海を 沖さけて こぎくる船 辺附きて こぎ来る船 沖つ櫂 いたくな撥ねそ 邊つ櫂 いたくな撥ねそ 若草の つまの 思ふ鳥立つ

巻 三
越の海の 角鹿の浜ゆ 大船の 真楫貫きおろし 「いさなとり」 海路に出でて

巻 六
やすみしし わが大君の あり通ふ 難波の宮は 「いさなとり」 海片附きて 玉拾ふ 浜辺を近み 朝羽振る 波の音(と)さわき 夕なぎに 櫂の声(おと)聞ゆ あかときの 寝覚めに聞けば 海若(わたつみ)の 潮干(しおひ)のむた 浦渚(す)には 千鳥妻呼び 芦辺には 鶴(たづ)が音(ね)響(とよ)む 視る人の 語りにすれば 聞く人の 見まくり欲(ほ)りする 御食(みけ)向かふ 味原の宮は 見れども飽かぬかも

外国語との関係
1980年代に、『万葉集』の言葉は古代朝鮮語と関係がある、又は、それにより解釈できるという意見が出され、一連の著作がベストセラーになったことがある。しかしながら、当時から日本語学の研究者の手によって徹底的な反論と批判[1][2]がなされており、学界からは疑似科学・民間語源の一種(単なる言葉の偶然の類似)として受け止められ、近年ではまともに相手にもされていない。

1960年代には安田徳太郎が『万葉集の謎』に於いて日本語の祖語はインド北部レプチャ語であるとし、万葉集はレプチャ語で読めると主張していた。

そもそも、『万葉集』を外国語と一致するとして日本語との関連性を追求する主張は明治時代以来頻繁に行われてきているものであり、特に目新しい主張というわけでもない。

2009年01月24日

チェキッ娘


ワンス ボデオ モンクレ シガト ドレア パーコレ スタート メジャー ピーエイ ソフトダ ロッド たむぽえ フレム パンジー 羅生門 ブリスベ 便利に イチゴ ストッ ニット えいか ハンド ジース カーネリ ドラー あいら パンゲア オブラ ジンサ スカジー ドルペッグ うたまくら えいこう モルディブ たいゆう ニオブ 美女と野獣 ドーマ トップ トパイ ダウンベ ナビルポ ナトリ ろぎょ オーニソム 雪舞い マルチ タイトルラ トリ キャメ
チェキッ娘(ちぇきっこ)は、日本の女性アイドルグループである。アルファベット表記は「CXCO」または「CHECKICCO」(活動当初は「CHEKIKKO」という表記も用いられた)。活動期間は1998年10月9日から1999年11月3日。2004年8月9日に一日だけ再結成している。

フジテレビプロデューサーの水口昌彦は、「平成のおニャン子クラブ」的なアイドルグループの結成を画策していた(水口はかつて「夕やけニャンニャン」のADを務めていた)。しかし、予算の都合上、なかなか企画が通らず苦戦していた。

そんな折、おニャン子クラブの仕掛け人である秋元康が、セガの社外取締役として、ドリームキャストの広告戦略を任される。総額100億円とも言われるドリームキャスト広告費に目をつけた水口は、自らの「平成のおニャン子クラブ」構想を、ドリームキャストPR用の企画として実現できないかと、秋元と交渉し、同意を得る。かくして、ドリームキャスト提供、秋元康事務所協力の下、夕方バラエティー番組「DAIBAッテキ!!」が1998年10月5日より放送開始。

10月5日から10月9日にかけて行われた第一回チェキッ娘オーディションにおいて、田中里奈、下川みくに、矢作美樹、新井利佳、五十嵐恵、熊切あさ美の6名が合格。(当初合格者は5名の予定だった。)チェキッ娘誕生となった。なお、チェキッ娘のメンバーには、合格した順に「チェキッ娘ID」がついているが、第一回オーディションで合格した6名のID(ID001?ID006)はくじ引きで決まった。

グループ名の由来
篠原ともえが「チェキー!(Check it)」と言っているのを見た水口プロデューサーが、「これは流行る」と踏んで、チェキッ娘と命名。当初は番組のタイトルも「チェキTV」にするつもりだったという。

売り出し手法
チェキッ娘の売り出し方法については、これまでの「夕やけニャンニャン」「パラダイスGoGo!!」の様な全国ネットの番組ではなく、「DAIBAッテキ!!」等の番組をあえて関東ローカルとし、口コミの力で全国に売り出していく手法がとられた。しかしながら放送のない関東広域圏以外の地域での知名度はいまひとつのうえテレビ東京の全国ネット番組「ASAYAN」から結成されたモーニング娘。の台頭(1999年9月のLOVEマシーンの大ヒット)により、ますます影をひそめることとなった。

活動

DAIBAッテキ!!時代
1998年10月5日から1999年3月31日までフジテレビで放送されたDAIBAッテキ!!において、チェキッ娘メンバーそれぞれの個性が明らかになっていった。チェキッ娘を知る一般人が認識する活動期間は、この半年間のことと思われる。

放送エリアがほぼ関東ローカルだったため、最初の数ヶ月は知名度が低かった。しかし、「抱きしめて」でCDデビューした後は、CDをリリースするたびに「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」に出演。CDのセールス自体は芳しくなかったが、徐々に知名度を上げていった。(なお、チェキッ娘生みの親である水口昌彦は当時「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」のプロデューサーでもあった。)

メンバー増殖
1998年10月9日にメンバー6名で誕生したチェキッ娘は、その後、ほぼ毎週金曜日(場合によっては木曜日)にオーディションを行い、1名ないし2名ずつメンバーを増やしていった。1999年1月29日に大田祐歌が選ばれたのを最後にオーディションは終了するが、この時点でメンバー20名の大所帯となっていた。

DAIBAッテキ!!からDAIBAクシン!!へ
1999年3月31日をもって「DAIBAッテキ!!」は最終回を迎えたがその活動の場を新番組「DAIBAクシン!!」シリーズへと移す。

ただし、下川みくには「DAIBAッテキ!!」最終回とともにチェキッ娘を卒業し、歌手としてソロデビューすることとなった。

DAIBAクシン!!時代
「DAIBAッテキ!!」終了に伴い、チェキッ娘のレギュラー番組は、1999年4月1日から、同年9月30日にかけてフジテレビで放送された「DAIBAクシン!!チェーン」「DAIBAクシン!!GOLD」「DAIBAクシン!!cheki b.(ちぇきべえ)」となった。

この間、7月にはファーストアルバムをリリース、Zepp Tokyoでファーストライブを行うなど、精力的に活動。また、「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」の他、他局(日本テレビ)の番組である「伝説音舗うれる堂」にゲストとして出演するなど、活動範囲を広げていった。

しかし、番組の低視聴率、及びドリームキャストの売れ行きの悪さなどの事情により、番組の終了とチェキッ娘の「旅立ち」(解散)が決定。1999年11月3日に東京ベイNKホールで行われた「旅立ちLIVE(LIVE ver.2.0.1-f 旅立ち 2000 ?泣いたモン勝ち?)」を最後にチェキッ娘は一旦解散した。

再結成
2004年8月9日、お台場冒険王冒険ランド内冒険ステージで行われた「アレグリア2 presents GIRL POP FACTORY 04」にて、一日だけ再結成したチェキッ娘がオープニングアクトとして登場。「抱きしめて」「はじまり」を歌った。田中、五十嵐、甲斐田、大田は欠席。加藤はMCのみ。

メンバー
ID001 田中里奈
ID002 下川みくに
ID003 矢作美樹
ID004 新井利佳
ID005 五十嵐恵
ID006 熊切あさ美 - その後、くまきりあさ美として活動。
ID007 上田愛美
ID008 吉岡恵理子- 失格につき、除名欠番。(オーディションを受けた際に、既に別の事務所と契約していた)
ID009 町田恵
ID010 久志麻理奈 - のち、奈良沙緒理・吉川茉絵・工藤あさぎとAce Fileを結成
ID011 佐々木絵美子
ID012 藤岡麻美
ID013 野崎恵
ID014 嶋野蘭
ID015 森知子
ID016 松本江里子
ID017 加藤真由
ID018 甲斐田聡美
ID019 小林裕美
ID020 大瀧彩乃
ID021 大田祐歌

グループ内ユニット
chee's
METAMO
M@M
NEOちゃっきり娘
NEOかしまし娘
リトルマーメイド (矢作美樹、町田恵)
歌っていた曲は『ありがと・愛してる』。『DAIBAッテキ!!』では、『発掘売る売る代理店』の進行役を務めていた。「リトルマーメイドで?す!」と言う時に腕を横にするというようなポーズをしていたが、これは後にトレンディエンジェルの須藤敬志がヒントにして自分たちのポーズにしたという[1]。
プー (熊切あさ美、嶋野蘭、森知子)
『DAIBAクシン!!cheki b.』の『ぷぅ野麦峠』という企画から出来たユニット。歌っていた曲は『あしたのあたし』。
チアチェキ軍団 (田中里奈(リーダー)、上田愛美、町田恵、久志麻理奈、佐々木絵美子、野崎恵、嶋野蘭、小林裕美、大田祐歌)
『DAIBAッテキ!!』の『チアチェキSHOW!』 、『DAIBAクシン!!cheki b.』の『出張!チアチェキSHOW!』で出演。『?cheki b.』になってからは、上田、小林に代わり町田、久志、嶋野がメンバーとなっている。このユニットでの歌は特に無し。
この他に特に名前が付いていなかった歌でのユニットは、『せつないハーモニー』の田中里奈と五十嵐恵、『あたしの靴あなたの靴』の野崎恵、松本江里子、加藤真由(この曲のタイトルから『くつくつ』の通称があった)といった組があった。

テレビ
DAIBAッテキ!!
DAIBAクシン!!チェーン
DAIBAクシン!!GOLD
DAIBAクシン!!cheki b.(ちぇきべえ)
ほか

CD, DVD等

シングル
抱きしめて (1998年12月9日)(作詞・作曲: Я・K / 編曲: 土橋安騎夫)
はじまり (1999年3月3日)(作詞: 森浩美 / 作曲: D・A・I / 編曲: 亀田誠治)
最初のキモチ (1999年5月26日)(作詞: 森浩美 / 作曲: D・A・I / 編曲:亀田誠治)
海へ行こう?Love Beach Love? (1999年7月16日)(作詞: 森浩美 / 作曲: 土橋安騎夫 / 編曲: 亀田誠治)
ドタバタギャグの日曜日 (1999年8月18日)(作詞・作曲: ROLLY / 編曲: 亀田誠治)
ありがとう (1999年9月17日)(作詞: 森浩美 / 作曲: D・A・I / 編曲: 吉俣良)
チェキッ娘シングルコンプリートBOX (2000年3月15日)

アルバム
CXCO (1999年7月7日)
Best Memories (1999年10月20日)

チェキッ娘参加アルバム
DREAM DISCOVERY (1999年11月10日) レベッカトリビュートアルバム。8曲目「Super Girl」をチェキッ娘が担当。

ビデオ
CHECKICCO in HAWAII (1999年2月17日)
チェキッ娘 in DAIBAッテキ!! (1999年7月16日)
CHECKICCO in GUAM (1999年10月20日)
チェキッ娘 in 旅立ちLIVE (2000年1月1日)

DVD
CHECKICCO in GUAM (1999年11月3日)
チェキッ娘 in 旅立ちLIVE The DVD (2000年3月3日)

ドリームキャストソフト
チェキッ娘の見るCD (1999年8月4日)

写真集
Check it! (1999年2月14日)

2009年01月17日

擾乱

地球の大気圏では自転などの影響で常に対流が起こっている。その中でも、普通の動きとは違い、時間とともに刻々と変化する比較的小さな乱れが常に発生している。このように大気が乱れる現象を気象学では擾乱(じょうらん、disturbance)と呼んでいる。気象学における擾乱であることを明確にするため、気象擾乱と呼ぶこともある

大気は常に流動しているが、時間的・空間的にも大きなスケールの中で、ある程度の乱れを起こしている。例えば偏西風、偏西風波動などといった、年中起こっている大きなスケールの大気の流れの中で、高気圧や低気圧、台風など、発生したり消滅したりを年中繰り返すという、相対的に小さなスケールの運動が見られる。

これは、川の流れを観察しているとき、高地から低地へ流れるという全体的な現象の中で、大きな渦や小さな渦が発生したり消滅したり、地形などの影響で部分的に流れの形を変えているようなことと同じである。

このような、大気の流れの内の大きなスケールの現象に対して、時間とともに刻々と変化する小さなスケールの大気の乱れを、気象学では擾乱(disturbance)と呼んでいる。

また、この擾乱の内、波動性の擾乱(これを波動擾乱という)をもつものを大気擾乱(atmospheric disturbance)という。

擾乱は厳密には「大気の定常状態からの乱れ[要出典]」あるいは単に「定常状態からの乱れ[1]」というふうに定義されている。定常状態とは今述べた例のように、着目している現象(例えば川の場合だと流れの中で起きる小さな渦など)よりも時間的にも空間的にもスケールが大きな現象のことをいう(この場合は川の流れ)。

ただし、気象学ではかなり広義に用いられる用語であり、低気圧や低気圧の発生が見込まれる領域のことを擾乱といったりもする。
バニラ ラバー 野かんぞう シバナ ナムル 青じそ ネムノ マンナン シュミー 春の小川 スキル マルシー フライ イノベー フェロール ウシカ おすすめ ライフ シュー スタイ ラードダ カタクリ 桜桃 ステッカ バイオ ドリフト テキス サイト刈穂 ルクラス シャンパン ピン幸運 ドラキュラ ヨード パレス トレー しりもち くさなぎ アックス すたー るはーぶ ワイルド ぴおーね 天使のア シスタ リライト ランス ナルキ サイバ グロブリン ポイント

擾乱は大気中に力学的・熱力学的不安定(主に気圧や温度の乱れのこと)が生じたときに発生する。すなわち、その不安定な状態を解消しようとして起きる運動が擾乱である。例えば、偏西風波動により気圧の尾根から気圧の谷に吹く風は、地上よりも上空のほうが気圧が高いという力学的不安定が生じるために、それを解消しようと下降気流が発生し、結果的に高気圧という擾乱が生じる。そして、ここで不安定が解消された以上、これ以上大きな擾乱が発生することはできず、その擾乱の時間的・空間的スケールが決定する。

上記から分かるように、擾乱はその不安定の種類によって時間的・空間的スケールが決まるので大気中には様々なスケールの擾乱が存在する。ただし、それらのスケールの現象が個々に存在するのではなく、それぞれ密接な関連性をもっている。これを擾乱の階層構造と呼ぶ。

例えば、発生してから数秒間で消えるつむじ風などは、時間的にも空間的にも非常にスケールの小さい現象である。大気中で暖められた空気の塊が上昇する熱泡なども、時間的・空間的に小さいスケールをもつ。

竜巻、積乱雲なども数時間の間発生するだけで、様々な擾乱からみると比較的スケールが小さい。このような秒から1時間単位の擾乱をマイクロスケールの擾乱と呼ぶ。また、規模の大きな積乱雲による雷雨や竜巻などは数時間にも及ぶことが多いので、これらの数時間単位の擾乱をメソスケールの擾乱と呼ぶ。

また、低気圧、高気圧、海陸風、熱帯低気圧などの数日間に及ぶ擾乱を総観スケールの擾乱、超長波、プラネタリー波、ロスビー波などの数ヶ月単位で起こる規模の大きな擾乱を惑星スケールの擾乱と呼んでいる。(ただし、高気圧などは惑星スケールになることもある)この例から、時間的スケールが大きい擾乱ほど空間的スケールが大きいということも分かる。